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17/2/28 音楽ノート|2015年~今年にかけて録音していたオリジナル曲や、20年前、子供の頃に作った曲など……たぶん30曲くらい追加。

2014年11月23日日曜日

16巻を買ったので、『金魚屋古書店』の感想を書く。

『金魚屋古書店』という漫画作品があるが、これが、なかなか好きである。
(IKKIコミックス/芳崎せいむ)

どういう漫画かというと、「漫画専門の古書店“金魚屋”を舞台に、実在の漫画本を題材に、登場人物達の行動や心の機微を描いたヒューマンドラマ」であり、安定した筆致と、話のテンポの良さ、質の安定が良い。
個人的な感想として欠点を書くなら、男性キャラがイケメンかそうでないかしかおらず、そのせいで「イケメンキャラ」の個性が薄くなりがちになっている。また、話の収拾を付けるための必然ではあるが、ご都合主義が過ぎ、そこまで要らないだろうというところまで人物相関が出来上がっている(そのキャラとそのキャラが知り合いだった、なんてまでこじつける必要はないだろう、のような)時がある。

だが、登場人物たちは全力で怒ったり、照れたり、想ったりしており、その上で実在の漫画が題材であることが、共感のための潤滑油になっている。

割と好きなシーンが単行本3巻所載の「楳図サロン」で、怖がりだが軟派な男が、一目惚れした女性の手引きにより、楳図かずおの漫画を語り合う「楳図サロン」に参加してしまう話である。
この中で『洗礼』など様々な楳図漫画を読んだ男は、「こわがっだもんのずんごぐ。」と感想をいいながら、以下のように語る。
「だけど同時に感動した。なんていうかさ…登場人物誰もかれもが…みんな一人残らずすさまじく全力投球なんだよな。(中略)へび女も、紅グモも『イアラ』に出てくるどの男と女も全員。誰もがみんな自分の人生を生き抜く事を必死で貫こうとしている。滅びの瞬間さえもいつも必ず前のめりだ。ずっとテキトーに生きてきた俺の人生省みちゃったよ。」

そうした、「実際に存在する漫画について、ものを想う」登場人物たちが毎話登場するので、「あーっ、漫画はいいなあ」と思える、そういう作品である。


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最新刊の16巻にて、自主制作漫画誌展示即売会、「コミティア」を舞台にした話が載っている。

30年前の第1回から参加している常連サークルと、初参加の女性との交流の話で、大人数の中での混乱、焦燥、いい年になっても漫画を描いている事の立場的な想い、普段実生活で会うわけでない妙な距離感の交友などが、大げさでなく、淡々と、描かれている。

同人誌即売会には私も参加したことがあるが、面白いものと思う。

そもそも私は昔から、ああいった大人数の場で「自分が何かできるか」を考えては非常に怖がるたちで、それこそ「ウルトラクイズ」(私が子供の頃にやっていたえらい豪華なクイズ特番)の球場の○☓クイズが怖かった。
あの中で目立てるはずがない、あの中では自身も「大勢」というかたまりになってしまう、と、子供ながらに恐怖していたものである。
(それだけ、自己顕示欲の強い子供だったのだろうけれど)

それに、参加するために漫画を描こうものなら、これがまたキツい。
私は締め切りに対して何日か前から余裕を持つ方ではないから、ラスト一日、夜から早朝に描き上げるということもあった。

そうしたものがとにかく全部「焦り」に集約していって、なので、私にとってこの手のイベントは、面白い一方、心拍数のあがる印象がある。

さて、一方金魚屋古書店の該当の話、「奇跡の花園」で好きなのがラストの展開だ。

常連サークルの男が、偶然隣サークルになった女性に頼み事をする。
「あの…今から買い物に行くんでしたら頼みがあるんですが。ここの新刊を一冊買って来てもらえませんか。もちろん代金は払います。」
「このサークルの本なら、今ここに預かっています。」
「え?」
「さっき来た人がそこに置いて行ったんです。『ストーンが~る』も一冊欲しいって言ってました。完売だって言ったらすごく残念がってて………もうすぐあなたが戻って来るって言ったんですけど、“いや、反対にいない時をみはからって来たから”って。」
男ははっとしたような顔をする。
「あの……ストーン☆レンジさん大丈夫ですか?」
「ああ…俺の本は、次のコミティアの時渡しに行くよ。コピー誌だから、再販するのは簡単なんだ。」

キャラクター達の動機付けが、さらりと機能していて良い。
「また次も、ここに来よう」とか、「誰かが自分と互いに作用しようとした」とか、そういった希望めいた感情がこのシーンにあり、オチの言葉もなんだかヘンにハードボイルドで素敵だ。


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最後にもう一つ好きな話、というか、この『金魚屋古書店』で一番好きな話が9巻所載「赤い漫画本」だ。
冒頭から、「風鈴」「爪楊枝の脚のついた野菜」「畳部屋で汗をかきながらうたたねする金魚屋の常連」と、盆のうだるような暑さの提示から始まる。
常連・キンコが階下へ降りると、店員とその手伝いが、大量の古本を仕入れており、すぐに死んだ漫画好きの遺品を全て買い取ったのだと解る。
すぐに次の仕入れへと店員たちが向かう間、留守番を頼まれたキンコは、金魚屋の地下で客らしい中年男性と出会う。

かつて「赤本」の扱われる問屋街だった松屋町に縁のあるという男は、そのまま、赤本の歴史について語り始める。
「『赤本漫画』は書籍の流通には乗らずに、駄菓子屋や露店で売られていた、基本的に小振りな作りの本の通称や。明治時代から小説や絵物語の赤本は出とった。一九四五年、第二次世界大戦が終わる。東京も大阪も焼け野原になった。(中略)食べるものも紙もインクもお金もない時代、まだ立派な“書籍”を売り買いする余裕はないけれど、薄ぺらい仙花紙の赤本なら簡単に手が届くんで発行が盛り上がったんやな。」

話は続く。
「終戦から2年後の一九四七年。ある大阪の出版社で、少し厚めの装丁の赤本漫画をそろそろ出そうという話になった。……その漫画本が…」
「手塚治虫の『新寶島』……?」
「そう。敗戦の焼け野原に咲き、日本漫画の歴史を変えた赤本漫画の代表作や。」
話はそこから貸本漫画というシステムへの移行へ繋がるが、そこへキンコが問う。
「あなたは…」
「ボクはその赤本漫画の、漫画家だったんや。」

ここでキンコの、何もセリフの無いコマが挿入される。
このコマがなんとも好きだ。
男が幽霊であると気づくシーンである。

「毎日、毎日、話を考えて、それを一つの絵にしてゆく。受け取ったお金でその日のおかずを買うて家に帰る……それの繰り返しやった。」
男は金魚屋のどこまでも続く本棚を眺めながら言う。
「文庫本よりも小さくて、ほんの数枚の厚さの、水につければ溶けてしまうような紙で作られた冊子。ボクの描いた赤本漫画は、今はもう一冊も残っていない。」

そしてここからが最高に好きな理由のシーンだ。
描いた作品が残っていない事について、衝動的にキンコが泣き出し、それについて男が答える。

「空しくは……ないんですか? いっ、一冊も……うっ、残らないなんて……ご…っ、ごめんなさい。泣くなんて…」
「…空しい? …そんなこと思ってみたこともないな…新世界のね、…二代目の…新しい通天閣が出来たばっかの頃、その近くに……ビリケンさんみたいな顔をした、おばあさんがやってる小さな定食屋があって。そのおばあさんが作ってくれるおむすびがな、最高においしいんや!(中略)そのおばあさんのおむすびは、今は一つも残っていない。もうこの世のどこにもない。同じなんだよ。ボクが描いたあの小さな赤本漫画も。」

映像や音楽や漫画などを、創作し、作品を作る人は世に多いが、残るものも残らないものもあり、例えば演奏業をしている私の場合、誰か撮ってでもいない限りその仕事はデータにも残らない。
が、確かに、飲食店で注文した食べ物も同様に残っておらず、語るなら「創作の在り方」みたいなものにまでなだれこむことはできるが、ひとまず、「同じなんだな」と考えることができる。
これが、なかなか好きである。


ということでついつい長くなったが、まずは『金魚屋古書店』の感想、ここまで。
 

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