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17/2/28 音楽ノート|2015年~今年にかけて録音していたオリジナル曲や、20年前、子供の頃に作った曲など……たぶん30曲くらい追加。

2015年1月20日火曜日

『新世界樹の迷宮2』のストーリーは何が良くて何が残念か

2014年の11月に『新世界樹の迷宮2 ファフニールの騎士』が出て、大方やりこみ、後は裏ボスを最高難度で倒す所、という状況のため、一旦レビューする。

このゲームを評価する上で、触れなければならないのが「ストーリー」の存在である。
オリジナル版の「世界樹の迷宮2」と最も違うのが、固有キャラクターの存在とそれに伴うストーリーの改訂であるためだ。

結論から言えば、「2」で見られた悪所は「新2」で補われたが、補うために用意された要素によって、欠点も生まれた。ということになる。
これについて、以下の4項で順々に触れていきたい。

・ストーリーについて(1)
 そもそもの「世界樹」シリーズとストーリーの関係
・ストーリーについて(2)
 オリジナル「2」におけるストーリーについて
・ストーリーについて(3)
 「新2」でストーリーがもたらした「長所」
・ストーリーについて(4)
 「新2」でストーリーがもたらした「短所」

特に4項において、ネタバレをしているため、未プレイの方、というよりプレイ中の方にはおすすめできないので、ご了承願いたい。


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・ストーリーについて(1)

まず第一作目『世界樹の迷宮』(便宜的に「1」とする)発売後、未プレイ者の誤解として、「ストーリーはあってないようなもの」というのがよくあったので、そこを氷解させておく。

誤解の理由として、開発者ブログで「今だから高難度3DダンジョンRPGだそうぜ!」というコンセプトが前面に出ていたうえ、更に、それについて「硬派」と言いたいがために、プレイヤーのレビューにも「昨今のストーリー重視という風潮に逆らって……」という論調が多かったのがあるように思う。実際には1から、ストーリーは付いていた。
寧ろ、世界樹の迷宮シリーズ自体、「1」で完結可能な程、ちゃんとラスボスが悪である理由だの、舞台となる街「エトリア」の秘密だの、迷宮内の種族との争いなど、お話はあった。

そしてそれを、主人公がいないのに成立させたのが上手かった。

操作キャラクター(PC)は、プレイヤーが名前や容姿などキャラクリエイトして出来た人物であり、道中しゃべることはない。
だからストーリーは、ナレーションとNPCのセリフで牽引されていく。
つまり、シナリオ上の制約として、主人公の感情を動機にできないのだが、それを補ったのが「ゲームブック風のナレーション」だった。
「君たちは○○しても良いし、しなくても良い」
といった特徴的な、いわゆる「お話の語り手」ではなく「プレイヤーに能動的に“ゲーム的行動”をさせるゲームマスター」な口調が、主人公の動機のない代わりに、「プレイヤーの冒険心」を引き出すように作用していた(勿論、時代的に昭和~平成初期に流行ったゲームブックらしさが、新鮮だったのもあると思われる)。

さて、ここで個人的に思うのが、「主人公がいないから成功した」のではなく、あくまで「主人公がいない状態で成立させた」のが上手いのだ、ということだ。

「1」には先述した通り、ちゃんと用意された舞台に背景があり、ボスにも持っている想いがあったし、迷宮5階層で明かされた真実には、衝撃を受けるだけのインパクトがあった。
ただそれは、「明確な主人公がいたら台無しだった」ものではない。
名前のある主人公がいても、ボスは語っただろうし、同ベクトルの衝撃はあったと思う。
(なので、「1」にキャラクターと新たなストーリーを付け加えた新世界樹の迷宮も十分、面白い)

これらは要素として、「主人公がいないゲーム」の成立に、「プレイヤーの冒険心」に、作用したということだと思うのだ。
だから、「ストーリーが良かった」ではなく、「ストーリーなどのおかげで、主人公のいないゲームを楽しくプレイ出来た」というのが、冒頭の誤解の件に繋がっており、また、「1」の評価の側面であると思う。


・ストーリーについて(2)
その「1」で熱狂的なファンを獲得した後、『世界樹の迷宮2 諸王の聖杯』が発売された。

これもまた個人の感想ではあるのだが、「2」をざっくり言うなら「ダンジョン探索やバトルは面白いが、ストーリーはいまいち」である。理由として、プレイヤーにとっては迷宮を進む理由が薄い――というか、「1」でいう要素の作用が薄い、という気がしている。

「1」はまずは「冒険心」をくすぐって迷宮に入らせて始まり、やがて自分たちが根城にしている「エトリア」自体に隠されていた事や、やがてはその世界自体の成立に繋がり、また、ある理由につき「舞台が現代日本人であるプレイヤーにリンク」していくために、中だるみしがちな後半からの盛り上げが素晴らしかった。

「2」の場合、迷宮探索の理由が、「冒険心」から「その土地の王様を助けるため」にシフトする(「諸王の聖杯」は不老不死をもたらし、不治の病を治す言い伝えがあるので)。
自分や、世界に繋がらないのだ。
冒険の目的は明確だが、「好奇心がとんでもない秘密を暴いてしまった!」という自身の行動と結果のもたらす緊張がなく、「冒険のとある一譚」でしかない。
しかも王様は会話上にだけ登場し、ゲーム内に現れないので、プレイヤーにとって「知ったこっちゃない人」である。

つまり、これは「主人公がいたら活きたお話」なのである。

主人公がいて、何か王様と関わりがあり、それをお話として見るのであれば、プレイヤーとしても納得がいく。
だが、「主人公のいないゲームを楽しむには不十分」なように思える。

一応はそれを追う内にもうひとつの言い伝えである「天空の城」に着くのだが、「なんと! 動く城が! 物理法則を無視して! 言い伝え!」などと声高に言われても、「ふぅん……浮いてた、かぁ」である。
「主人公」は衝撃だっただろうし、その主人公を見るというお話は解るのだが、プレイヤーは、ゲーム内で城が浮いていても衝撃は特に無かったのだ。

そして、更にはラスボスが狂人であったのも良くなかった。
天空の城に入って間もなく、不老不死の研究をしていた事が解るのだが、結局突然ぽっと現れて、「ところで不老不死に興味はないかね」と「何か摂理に間違った考え方を押し付けてくる」。
何のことだよ、と思っているうちにバトルになって、バトルになったから、倒す。
「2」は、「冒険心につられて探索を進めたら、何か巻き込まれて終わる」お話だったのだ。


・ストーリーについて(3)
で、「新世界樹の迷宮2」である。

「1」は「主人公不在でも成り立つ程、舞台背景が“プレイヤーが冒険をする”に十分」だった。
「2」は「冒険していたら色々巻き込まれる話であり、主人公不在では不十分」だった。
なので、主人公たちの登場する「新2」は、楽しむことが出来た。

最も良いのは、ラスボスを、その先の本当のラスボスのだしにしたことだろう。
一応、狂人だし身勝手なのは変わらないのだが、冒頭、とある理由で体が変異する主人公の力と、諸王の聖杯がもたらす生命力をかけあわせ、最も恐ろしいラスボスに立ち向かう――そのための試練として存在するようになった。

また、主人公の力の原因が、物語の舞台「ハイラガード」の持つ歴史(儀式)に紐付いているので、「王様のために諸王の聖杯を探して来い」というお使いにも、「そもそも主人公と王族たちに接点がある」という強みが増した。

そしてその「儀式」とはおぞましい怪物を封印するためのもので、主人公たちはなんやかんやの事故でそれを台無しにし、しかた無いのでその怪物を倒す事にするのだが、その方法を知るものとして天空の城のラスボスを訪ねる……という流れになり、動機付けが最後まで持った――

――のだが、今回は蛇足があった。

ここまでの「持った」は、「2」の尻拭いとしての成立である。
「2」のストーリーの求心力のなさや、ラスボスのなんだか解らなさを、キャラクターの配置や舞台背景の改良でもって立て直した。
ここは実際大したものだと思われ、プレイしながら「おっ、ちゃんと進む理由があるぞ」と感じられた。

問題は、その立て直しゆえに生じた歪みだ。


・ストーリーについて(4)
さて、ここからはネタバレになる。プレイ中の方はエンディングを見ていない内は、読むのを避けて頂けると良いかと思う。

問題は3点ある。
「俺より強いやつに会いに行く」問題。
「女の子が泣いたら生き返る」問題。
「それはエンディングのつもりか?」問題。

1点目は、上項で述べた「今回立てなおしたなぁ」で安心した、中盤にさしかかる際に発生する。
冒頭、主人公はさる国の姫である「アリアンナ」の依頼に基づき、古代遺跡に向かうが、そこで「儀式」の影響を受け、異形の力を持つ。
人の形を失う懸念を持ちながら、それでも依頼の遂行の為に儀式の続行を決めた一行は、途中で「なぞのじんぶつ」の手引を受け、「つよくなること」を目指すようになる。

何だか、突然少年漫画なのだ。

その展開以降、実際に「どうだ? あの敵は強そうか?」といったセリフや、「しかしあのモンスターからは、力を得た時の感覚は感じられない」といったナレーションが飛び交い、そのまましばしの間、「強いモンスターを求めに行く」という目的が提示される。
強いって、何?

2点目も近いタイミングで発生する。

上項で書いた「なんやかんやの事故」は、ダメなゲームに見られる「ゲームの主人公が勝手に台無しにしやがった」といったものではなく、どちらかというと、理由がちゃんとあり、しかも熱い。
ここはキャラクター設定の成功があり、「今までダメと思っていたおっさんがついに本領発揮」を皮切りに、それなら仕方ねえ! と思えるような、しかも破滅的な展開に転がり込んでいく。
(本当はその前にプレイヤーに提示される選択肢があからさまに「結果全部同じ」なので、興醒めしがちなのだが、そこからのリカバリにもなっている)

が、そこまで破滅的な展開からの、幼女「ふぇえぇえん」→おっさん「生き返った」が来る。

10年近く前、『24』のシーズン1のレンタルDVDに、ジャック・バウアーの妻が生きているバージョンのエンディングが収録されていてがっかりした記憶があるが、それに近い。
破滅的ゆえに「それ、どうやって収拾付けるの?」「え? 死ぬの? 死ぬの?」とハラハラさせ、最高難度でプレイしたのも相まって、焦りを伴うような引きつける展開になるのだが、死の処理が軽い。
更に生き返るならまだマシで、これの場合は異形になってしまった人間が、人間として生き返っている。
もうここで、「人の姿を失うかもしれない」というストーリーの柱一本が台無しになってしまっているのだ。

バトルコンセプトからチームバランスがものを言う「世界樹」シリーズだけに、キャラロストは無しにしても、もう少し焦らして良かったのではないだろうか。
即ち、本当に殺した展開にしてしまってから、少し間を置いて奇跡なりで蘇らせるなど、やりようはあったと感じられる。

最後に3つめで、これはラスボス戦の後、エンディングとなる。
エンディングについては、2つめの逆となる。
つまり、そこはその場の奇跡でいいでしょうという展開を踏まえて、ハッピーエンド側が台無しになる。
しかもそれで何か余韻を残させようかと思ったのかな、と考えたすぐ後に「引き続きダンジョン探索とやりこみをお楽しみ」頂くためにそのバッドエンドが今度は無かった事になる。
整合性を放棄しているのだ。

「俺より強いやつに会いに行く」で「なんか雑?」と思わせながら、幼女問題で緊張感と喪失感を都合の良い奇跡で茶番にし、最後、プレイ100時間付近で緊張というよりは「さあっ、エンディングをっ、見せろっ」という状況で奇跡を起こさない。
この3点は全て、「2」のマズい所を補うために設計されたキャラクターや歴史から生じたものとなる。
そしてそれぞれ、明確に対処法が存在すると思われる程、浅い。

つまり結論として、「2」で見られた悪所は「新2」で補われたが、補うために用意された要素によって、欠点も生まれた。ということになる。

バトルや探索などシステム面については、「2」の頃より問題なく、そうなるとやはり観点は「ストーリー」となる。
それだけに、上記は非常に優良な点の多いこのゲームの残念な所であるように思う。
 

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